しがない駐在員の日報(LA編)

駐在員とはなんたるかを綴ったドキュメンタリー的なブログです。

「出発&到着」

6月23日。

 

前日に高校の友人たちと日本での最後の晩餐になぜかインド料理屋へ行き、そしてなんだかんだでタイミングが悪く結局誰もいなかった実家を後にしながら思った。「本当にこれから駐在行くのかな・・・?と。」

 

まったく実感のないまま関西国際空港へ。

 

なんだかふわふわした気持ちのまま第一の関門、「チェックイン」がやってくる。

 

 

なぜこの他愛もないフェーズが関門なのか。それは僕がビザを取得しておらず、かつ日本のパスポートでチケットを取ったからである。

 

一応整理すると、僕は日本出国時には日本のパスポートで出国し、アメリカ入国時にはアメリカのパスポートで入国するようにアメリカ大使館で言われた為、このような方法で入国、滞在をすることとなった。でもこれって非常に釈然としないんですよね。なんか釈然としないですよね?

 

 

「すいません、ビザ等は取得されていますか?」という質問からややこしいことを言われる気がしてならない。そんなことを考えつつ、チェックインカウンターを訪れた。

 

パスポートをチェックしつつ、すかさず「すいません、ビザ等は取得されていますか?」と言われる。

 

うわ、きてしまったああああ。でも僕は毅然と「あ、あ、あの!え、永住権持ってるんです。こ、これ、パスポートです!」と言いました。

 

ちゃんと言えたかな?

 

僕のアメリカパスポートを見ながらなぜか「ふっ」と一瞬鼻で笑われて「はい、大丈夫です。」と言われ第一関門突破。

 

何がおかしいねん!!

 

 

釈然としないまま第二の関門「出国審査」へ。

 

 

ここでもどうせ「すいません、ビザ等は取得されていますか?」って言われるだろうなぁ・・・と思いながら出国審査開始。

 

「はい、結構ですお通りください」

 

 

「あ、違うんですよ~米国の永住権持ってまして~ほらここにぱすp・・・え?」

 

 

まさかのスルー。

 

 

もうすごいめんどくさいごたごたに巻き込まれるだろうなぁと覚悟していたので、かなり早めに行ったのですが、裏目に出て何とも言えないラウンジでひたすら時間をつぶしていました。

 

 

ここから飛行機に乗るわけですが、ここでは特に事件はなく、しいて言うなら何かターバン巻いた人が客室乗務員と何やら揉めていたっぽい事と、2015年のM-1の動画が見れたので見ていたのですが、やっぱりタイムマシーン3号のネタが一番面白かったんじゃないかって思ったくらいでした。

 

 

10時間半後、無事にロスにつきまして、ここで最後の難関、「入国審査」が待ち受けていました。

 

 

最悪ココで強制帰還もあるなって覚悟していました。もうそうなったら帰りの便は下町ロケット全話見てやろうって。

 

 

僕はアメリカ人なので、アメリカ人のレーンでスムーズに入国審査が始まりました。対戦相手は素手で戦ったら僕はまず3秒でミンチにされるであろう屈強そうな黒人のおっちゃん。

 

 

おっちゃん「Where did you come from?」

 

ふっ、愚問だな

 

僕「Japan」

 

おっちゃん「OK.」

 

余裕やな。

 

おっちゃん「How long have you stayed in Japan?」

 

・・・え、どんくらい?去年アメリカ行ったけど完全に日本人として行っていたけど、アメリカ人としてってことか?となると・・・

 

僕「Thirteen? No… Fourteen ? No… mmmm…. A long time !」

 

まぁ、17年だったんですけどね。

 

おっちゃん「Business?」

 

いや、子どもの頃からだから・・・うーーんと・・・

 

僕「Yes, business」

 

嘘はついてないからね。

 

おっちゃん「Teaching English ?」

 

いや、車会社だから・・・

 

僕「Sort of !」

 

 

中高の時、期末試験前とか結構教えてたし。

 

 

おっちゃん「OK Welcome back to the United States.」

 

 

うおおおおおおおおおお!!めっちゃ違和感ある!!!

 

 

おかえりなさいってもう17年間帰ってないんですけど。家出にしてもかなりやりすぎですよ。僕のこの17年間だってそりゃあね、それなりのドラマがありますよ。

 

17年前の僕は言ってしまえば日本という異国で暮らし始めたわけですからね。そりゃあもう苦労の連続で、初めて日本の小学校の掃除時間の同級生たちの雑巾がけを目にしたときは「うわ、奴隷かよ・・・」って思いましたし、給食当番で牛乳を持って来たり、スープをよそったりしている同級生を見て「うわ、奴隷かよ・・・」って思ったもんですよ。

 

それがですよ?もう十数年後には、お店でいの一番に雑草抜きをして「店長!雑草全部抜いてきました!」ともう社畜という名の会社の奴隷をやっているんです。それくらいこの17年というのは重いはずなんです。

 

 

それをおかえりなさいの一言で済ますとはどういうことじゃ!!!

 

 

とは全然思わず、「Thank you」と颯爽と入国審査を終えました。

 

 

全ての懸念事項が解決し、「やったあああああ!」という気持ちを胸にタクシーに乗り込み、会社横のホテルに到着し、「やったああああ!」とベッドにルパンダイブを決め込み、足をバタバタさせながら脱力していました。

 

ハイジの小屋のシーツってこんな感じなのかな?とか思っていたのですが、ふと、「ついたら電話してください」という駐在員の先輩の言葉を思い出し、脱力しながらも手だけ電話機に伸ばし、電話を掛けました。

 

 

僕「もひもひー、ぶじにほてるにつきましたぁー」

 

 

先輩「あー、そう?じゃああと5分後迎えに行くけど大丈夫?」

 

 

!?!?!?!?

 

 

しゅ、しゅ、しゅ、出勤!?まだロスについて1時間もたってないのに!?

 

 

おいおい、先輩ここは自由の国アメリカだぜ?俺は自由にさせてもらうぜ・・・?

 

 

そう、初めが肝心。始めにガツンと言っておかないと。そう思いながら僕はすぐさまこう答えました。

 

 

 

 

 

僕「すいません、あと10分だけください!!」

 

 

 

17年という月日は重すぎた。

最終出社日〜僕はそこまで有名人じゃあないという話〜

先週の金曜日は本社での最初出社日でした。

この前日までは気持ち的にフワッフワッしてて、後輩達の前で「アメリカでどうしたらええねん…!」とそれはそれは情けない姿を晒してたんですよ。

回転寿司をみんなで食べてたんですけどね。いつもなら必ず食べるカリフォルニアロールもこの時ばかりは食べないというアメリカに対する細やかな反抗を見せていました。

日本でやり残した仕事はないか?このままアメリカへ行ってもいいのか?本当に向こうで仕事をやっていけるのか?嫁さんは果たして本当に見つかるのか?色んな気持ちが渦巻いていました。

もうはっきり言いましょう。僕の気持ちの方が回転寿司よりもぐるぐる回ってました。

それがですよ。不思議と最終出社日の朝。すっと起きて、「ま、なんとかなるか」と気持ちが落ち着いていたんですよ。気持ちが回転寿司から回らない寿司になってたんですよ。

もう、何というか大学生のバイトじゃなくて歴戦の大将が握ってくれてるようになってました。へい、おまち!みたいな。

そんな気持ちでね。ゆるりと出社しました。

午前中。

まず、パソコンでメールをチェック。仕事を全て後輩と上司に引き継いだので僕宛のメールはほとんどありません。

ほとんどないんですけど、一つだけ僕がこの日に受け取らないといけないメールがあったんです。

ズバリそれはアメリカに着いてからの具体的スケジュール。

どこに泊まるとか、いつ出社するとか、誰が迎えに来るとかそういう感じのです。

メールボックスを開ける。

メールを探す。

見つからない。

一回Outlookを閉じる。

再度開く。

メールを探す。

ない。

なるほど、これ一見すると何もメッセージが無いように思えますが、僕には見えます。

ズバリこれは駐在員たるもの一を聞いて十を知れというメッセージですね?限られた情報で正解までたどり着いて見よ。的な。

昨日までの僕ならいざ知らず、今は大将なんでね。冷静沈着に魚を締めるように、「後日gmailに送って下さい」とリマインドメールを送っておきました。(後日ちゃんと届きました)

午後。

後片付け的なことをしつつ、挨拶回り。

この時お世話になった人達に色々とご挨拶していたのですが、ほとんど関わった事のない人達や知らない人達からも結構話しかけられまして、「頑張ってね」とか「体には気を付けてね」的な事を結構言って頂いて本当に嬉しかったです。

嬉しかったんですが、全然知らない人から「キャプテンアメリカになってこいよ!ガハハハハ!」と言われたのだけは本当にリアクションに困りました。嬉しかったですけどね。

まず僕そもそもアメコミそんな知らないんでキャプテンアメリカも全然知らないんですよ。なんか人を助ける青い人ってことしか知らなくて、僕の中ではドラえもんと同じなんですね。

だからとりあえずより身近なドラえもんを目指す事にしました。

終業後。

午後皆様からの熱いメッセージを自分の中で反芻しながらオフィスを後にしました。

帰ってる途中でも結構話しかけられたりしましてね。またまた知らない人達からも暖かいお言葉をいただきながら帰っていたのですが、もうその頃には目頭が熱くなり、汗だかなんだかよく分からないものが目に溜まってました。

そんな中会社の外に出るゲートに向かって歩いていたのですが、途中で財務部とかがある建物の横を通り過ぎていたら遠くの方で大きく両手を振ってる人が三人ほどいたんですよ。

どう見ても知らない人達。

「おいおい、どんだけこの会社は温かい会社やねん…!」と僕も負けじと手を振ったんです。

すると予想に反して「え?」みたいな顔をされたんです。

僕も「え?」ってなってふと後ろを見たら車が一台来ていて、運転手も「え?」って顔してるんですよ。

それでね、僕気づいちゃったんですよ。あ、この車を誘導してたんだって。

そこからですよ、もう一目散に逃げました。心底最終出社日で本当に良かった。

この少し前まで僕の目に溜まっているものが何なのか分かってなかった僕ですが、最終的には涙だったなって。そんな話です。

「赴任日」

いやーーーー、すっかり忘れてました。いや、もう結局いつ行くんですか?(怒)って方も多かったかと思います。

 

もう今のところブログのタイトル詐欺もいいところでしたね、本当に申し訳ございません。

 

お詫びとしてうちの実家の可愛いにゃんこの写真をお見せします。

 

 

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美しい・・・

 

 

そう、赴任日ですが、6月23日(木)です!6月23日に日本を発ち、ロスに同じく23日に着きます!

 

 

思えば3月中旬からずいぶんと掛かってしまいました。本来はもっとスパンは短いと思いますよ。

 

 

 なぜ23日にしたのか?ポイントはいくつかあります。

 

 

  •  大安

いくつかっていうか、気持ち的には理由の9割くらいがこれかな?カレンダー眺めてて、「おお、この日大安やん」って。

 

  • 平日

駐在員の方に迎えに来ていただいたりする際にはやはり休日よりも平日に来る方がベター(休日潰されたくないですもんね)ってのでよっぽどの理由がない限りは土日祝は避けましょう。

 

  • 後半

これはもしかしたらうちの会社内の都合なのかもしれませんが、前月分(まだフルで日本で働いていた月)の給料を受け取ってから赴任しないと税金関係がややこしくなるとか。うちは毎月15日に給料が支払われるので15日以降に赴任してくださいと言われます。さらに次の月に赴任するとなると、辞令が出てから一か月以上が経ってしまうので、必然的に月の後半になるというわけです。

 

 

とまぁ、こんな感じです。僕の場合は自由に赴任日を決められたので、上の要素を考慮して自分で決めました。

 

本来は色々なことを考えて赴任日って決めるみたいです。例えば交代で駐在に行く場合などは交代する方との引継ぎを行わなければならないので、その方との調整もありますし、急ぎで行かなければいけない場合はとにもかくにも行けってのでバタバタしていくこともあります。あとはフライト日程とかですね。(日本~ロス線は毎日運航している)

 

もちろんその場合はそっちの都合を優先して赴任日は決定してください。

 

さて、こんな感じですかね。とりあえず赴任日言っとかないとってので内容短いですけどこんな感じです。うちの猫に免じて許してにゃん!

「尊敬する先輩から学ぶ名言10選」

突然ですが、皆さんの会社に労働組合ってありますか?(だいたいの所はあるんですかね?)

 

僕は何を隠そうウチの会社の労働組合の支部委員というまぁ、学校で言うところの学級委員的なことをやっていたんですよ。まぁ、学級委員といっても大したことはしてなくって、実際には全然そこまで仕事してなくてですね。まぁ、実際にはストーブ係くらいの事しかしてなかったんですけどね。

 

で、その労働組合の世界に僕を引き込んだ偉大な先輩がいるんですよ。すごいスカウトされてね。まぁ、みんなやりたがらないからそれはもうすごいスカウトされてね。

 

僕もまぁ最初丁重に断ろうかなとも思ったんですけど、ふと僕の数あるバイブルの中の一つである「サラリーマン金太郎」の金ちゃんが労働組合の委員長をやっていたのを思い出してですね。まぁ、急に手のひらを反して引き受けたんですよ。

 

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参考:金ちゃんが労働組合の委員長をやる17巻

 

 

金ちゃんはこの話で実際に会社が大量リストラを敢行しようとしたのに対抗して色々と策を講じて見事組合員たちを守るっていうすごい「これぞ労働組合!」って感じの働きを見せるんです。すごい「うおおおおおお!」って感じで。ほら、見てください。この巻のサブタイトルも「金太郎、覆す」ですよ?そらもう、「うおおおおお!」ですよ。

 

僕も労働組合の支部委員になった当初は「うおおおおお!」って感じだったんですよ。やったるぞーって。

 

でも、悲しいかな。いや、幸運にもかな。うちの会社全然リストラとかしないんですよね。全然その気配すらなし。

 

だからもう僕も「うおおおおおお!」って感じでプリントを配るくらいしか実際にはしてなかったんですけどね。

 

まぁ、そんな話はどうでも良くて、とりあえず駐在するにあたってこの役職を降りることになりましてね。色々と自分の中で労働組合の活動に関して振り返っていたんですよ。

 

そしたらこの労働組合の世界に引き込んでくださった尊敬する先輩に数々の名言があることに気付きまして。ぜひシェアさせていただきたいなと思いまして。

 

あと、なんかこの記事のタイトルみたいな記事って世間一般でよくあるじゃないですか?なんか僕も似たようなの書けるんじゃないかなってふと思いましてね。この記事を書かせていただいた次第です。では名言集をご覧ください。

 

 

 

第10位 「あー、そうか!!俺ら初歩的なミスをしてもうたな。俺らも勉強せなあかんな…」

 
選挙関係のプリントを配布しているときに配布先リストに外国人社員のお名前があったんですよ。それで先輩に「あの、このリストなんですけど、外国の方って選挙権ないですよね?渡したら問題になりません?」って相談した時に言われた言葉です。
 
 
個のミスはチームのミス。ワンフォーオール精神が伺える名言です。
 
 
 
 
 
第9位 「僕の趣味はね、ナンパ。」
 
40半ばなんですけどね、先輩。。
 
何時いかなる時も若くあれというメッセージが込められた名言です。
 
 
 
 
 
第8位 「サントリーウィスキーはね、僕の青春の味」
 
サントリーも思わず「!?」ってなることでしょう。
 
あの大企業をも自分色に染めてしまう先輩の影響力ぱねえ。
 
 
なんでも自分色に染めてみろという思いからきた名言です。
 
 
 
 
 
第7位 「どうしようと思った時にふと君の顔が思い浮かんでね、気付いたら君にお願いのメールを送ってたよ。ありがとう。
 
この前日のことなんですけど、先輩が労働組合関係のメールを全体に流すのを忘れてそのまま帰ってしまっていたみたいで、僕に全体にメールを流しておいて下さいというお願いの電話をしてきたのです。で、次の日僕に直接お礼を言ってきたという流れです。
 
 
 
 
 
まぁ、僕メール流してなかったんですけどね。
 
 
常に感謝の心を忘れるなかれという内容の名言です。
 
 
 
 
 
第6位 「僕の跡を継げるのは君しか居ない」
 
「本当にごめんなさい!」ってすかさず答えました。
 
 
常に未来を見据える視点の重要性が分かる名言です。
 
 
 
 
 
第5位「ンゴゴゴゴゴゴオオオォォォ!!フシュルルルルウウウゥ!!(同時に)」
 
まぁ、ちょっとこれ僕の拙い文章力だと表現ができないんですけどね。同じ部屋で寝てたんですけど、先輩のイビキがすごくてですね、こう、なんていうんですかね。イビキって大別すると「ンゴゴゴゴオ」って息を吸うときの音と、「フシュルルル」って息を吐く音の二つがあるじゃないですか。
 
 
 
先輩はなんとこの二つの音を同時に出せるんですよ。
 
 
あの、ちょっと皆さんこれやってみてほしいんですけどね。ね?できないんですよね。人体の構造を超越したすごい先輩なんです。
 
 
「オンリーワンになれ」という思いが込められた名言です。
 
 
 
 
 
第4位「副社長と僕同期みたいなものですもんね?」
 
まぁ、同期ではないんですけどね。あんなに困り顔の副社長を見たのは初めてでした。
 
 
常にビッグな人たちと肩を並べろという教えが分かる名言です。
 
 
 
 
 
第3位 「君はATとMTならATを選ぶタイプか?」
 
これは労働組合関係なくて、僕が普段仕事で使っているとあるシステムがあるんですけど、このシステムに異常がおきてしまって全く使えなくなって、この先輩にシステムを直す依頼をしたんです。
 
そしたらその普段使っているシステム、この時初めて知ったんですけど、マクロが組まれていて楽に使えるように設定されていたみたいで本来は毎回ややこしい入力をしないといけないシステムだったようなんです。
 
で、先輩が「設定どうする?本来のシステムに戻すか?」て言ってきたので、
 
「いや、設定変えないで下さい」と答えたところ、この台詞を言われたというわけです。
 
これにはさすがの僕も結構強めの口調で「ATでいいんで早くしてください」って言い返しちゃいますよね。
 
 
簡単な方法と難しい方法なら難しい方法を取れというどっかで聞いたことあるような名言です。
 
 
 
 
 
第2位 「でもこの仕事は色々な発見ができるよ?おじいちゃんおばあちゃんは朝が早いんだなーとか、犬って吠えるとうるさいんだなーとか」
 
朝の5時半に会社の近くでビラを配るという仕事を命じられた時に僕があからさまに嫌そうな顔をしていた時に言われた台詞です。
 
 
あとは朝早くって寒いんだなぁとかですか?って心の中で思いながら聞いていました。
 
 
現場主義の重要性を説いたありがたい名言です。
 
 
 
 
 
第1位 「でも僕のfirst kissはAmericanですから!」

 

この先輩含め、いろんな方々と呑んでいた時に、以前この先輩がみんなと飲んでいた時にふと途中で怪しいネオン街に一人消えていった時があったらしいんですけど、その時のことを追及されていた一幕があったんですね。その時の言い訳がこちらの台詞です。

 

Globalな人材になれというワールドワイドな名言です。

 

 

 

いかがでしたか?どれもすごい為になりませんか?感心したそこのアナタ!レッツ、組活!

 

 

 

 

 

「VS. アメリカ大使館」

先日書類の手続きでアメリカ大使館に出張行った時の話です。

 

 

赤坂のアメリカ大使館に行ってきたんですよ。それでその時たまたまなんですけど、厳戒態勢に入っていたんですね。(サミットの関連ですかね?わからないですけど)

 

 

そんな状況だったんで、すごくすごく長い棒を持ってるんですよ警備員さん。どれくらい長いかというと、ちょっと小洒落た所でフランスパンを買って帰ると、なんというかキャパオーバーでひょこって買い物カバンから出るじゃないですか?あんな感じでした。本当にその棒扱いきれる?って感じ。

 

 

あまり僕は他人の武器に対してとやかく言うタイプではないですが、幽遊白書の時雨以来武器に対して疑問を持ちました。

 

  

 

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参考:幽遊白書の時雨と彼の武器「燐火円礫刀」

 

 

そんなフランスパン持った警備員さんが3メートル間隔くらいで大使館の周りに配備されているんです。ちょっとしたヤマザキ春のパン祭りなんですよ。

 

 

 

なんか大変そうだな~って思いながら通り過ぎようとしたら「はい、止まってくださーい」って警備員さんに制止され、「すいません、本日はどういったご用件でしょうか?あと鞄の中見せてください」と続きます。

 

 

すぐに「書類の申請できました」と言いながら鞄の隅々まで見せました。フランスパンで殴られたくないですからね。

 

 

すると、「はい、結構です。では、次の警備の者にも同様にお見せください。」と言われるんです。いや、簡単に言ってくれますけどね、入り口までに7,8人くらいあと警備員さんいるんですよ。入り口が近いようで遠い。

 

 

 

 

 

ようやく入口にたどり着くと、フランスパンの人が二人と空港とかである荷物をコンベアーに乗せてX線的なものに通すアレ、アレがあるんですよ。厳重ですね、さすがに。一人目にまた用件を聞かれるので機械的に答えながら空港でもあるようなトレーに荷物を載せ、オッケーが出るのでその3メートル先くらいにいる次のフランスパンと話します。

 

 

すると開口一番「はい、荷物を降ろして!ここから先は申請書類以外の荷物の持ち込みは禁止です!きちんと説明を聞いてください!」と激おこなんですね。カッチカチのフランスパンなんですよ。

 

 

僕もあれ?そんな説明あったかな?聞き逃してたのかな?フランス語だったのかな?とか思いながら「すいません、すぐ鞄から残りの書類取ります。」と迅速に対応します。

 

 

鞄をごそごそしながら準備をしていたのですが、その時先ほどのフランスパンの方が小走りでカッチカチのフランスパンのもとにやってきたんですよ。何かな?とか思いながら僕は引き続きごそごそしてたんですけど、ちょっと焦り気味でこう言ってきたんですよ、

 

 

 

「その方、アメリカ人の方です!!」

 

 

カッチカチの方も「え?え?」とか言いながら、僕の申請書類にさっと目を通してハッ!となり、「す、すいません何か証明できるものは・・・?」と恐る恐る聞いてきました。

 

 

僕は「あ~そうですね、うーん、コレとかでいいですか?」ってアメリカのパスポートを見せたんですよ。

 

 

するとカッチカチが「し、失礼いたしました!!アメリカの方は全てのお荷物を持ち込んでいただいて構いません!そのままお進みください!!」って態度をこれでもかってくらいガラッと変えたんですね。

 

 

いや、もう印籠か!って。誰がご老公やねん。誰が光圀公やねん。日本人だとほぼすべての荷物を預けなければならないみたいで、長い時だと待ち時間3時間とか4時間とかを暇つぶし無しでひたすら耐え続けるという苦痛を味わうことになるようです。

 

 

そんなんなで、「あ、じゃあそのまま通りマース」ってX線だけぱぱっと通して悠々と大使館に入りました。しかし、その実アメリカ人でも携帯電話とか刃物とかそういうのは持ち込めないんですよ。それで荷物番の警備員さん(フランスパン未所持)にそういったものを入ってすぐに渡さないといけないんです。

 

 

ただ、その警備員さん僕とフランスパン達とのやり取りをばっちり見ていたんですね。「では助さん、格さん、参りましょうか」の部分まできちんと。

 

 

それで、たぶん規定とかで決まってるんだと思うんですよ。しどろもどろに僕にこう言ってきたんです。

 

 

 

「アー、セルフォン、デポジット、オーケー?」

 

 

え、英語!?まぁ、確かに先ほどのやり取りだと僕ただのアメリカ人ですからね。だから僕もこう答えておきました。

 

 

 

「No problem.」って。

 

 

そんなアメリカ大使館らしい一幕も終えて、いざ中へ。

 

 

さぁ、さっきも英語のジャブを食らったし、「やれやれ、めんどくせえけど本気出しますか…!」と面談を開始するも、まさかの日本人スタッフと日本語で面談。勿論日本語なので問題なく一回目の面談を終える。

 

 

お、思ってたのと違う…。

 

 

5分後、今度はアメリカ人っぽい女性スタッフの方と面談。

 

 

…これやこれ!こういうことや!思ってたのは!

 

 

ただ、少し面談の様子がさっきと違っていた。

 

 

面接官「Please raise your right hand.」

 

 

こ、これからいったい何が始まるんです…?

 

 

とりあえず向こうの要求を飲み、右手を上げる。

 

 

 

「%&$#*@ ?」

 

 

え?なんて?

 

 

いや、言い訳をするとこの時僕はあの刑務所とかの面談で使うような強化ガラス越しにお互い真ん中にある小さな穴を通してやり取りをしてたんですよ。あれ、めっちゃ聞き取りづらいんですよ。正直さっきのも相手の女の人も右手を挙げてくれたからギリギリ理解できたレベルなんですよ。

 

 

やばい、僕が何も答えないから女のひとめっちゃ不振がっている…!

 

 

ガラス越しにお互いの手をくっつけて「こんなに近いのに触れられない。近いようで遠いね…」的な映画のワンシーンを演じろとでも言うのでしょうか?

 

 

とりあえず整理すると、「%&$#*@ ?」って女の人が言ったとき、たぶんですよ、たぶん疑問文だったと思うんですよ。さらに最後「%&$#*@ ↑?」ってこう語尾が上がってたんですよ。つまり5W1Hを用いた質問ではない。

 

だから、「What kind of bread do you like ?」とか「Where is my bread ?」とか「Who ate my bread ?」とか「When did you eat my bread ?」とか「Why did you eat it ?」とか「How was it ?」ではないと。

 

 

それでもまぁ、だいたい質問ってYes かNoかで答える確率が非常に高い。これは賭けだ。

 

 

僕「い、いぇす…」

 

 

 

 

面接官「…Thank you sir. Have a nice day.」

 

 

な、なんか知らんけどあってたっぽいーーーー!!

 

 

そんなこんなで色々とよくわからない状態で帰され、大使館での書類申請は無事終わりましたとさ。無事に渡航できることを祈っています。

「二重国籍保持者の駐在について」

今回書く記事はおそらく、このブログでもっと真面目で、最も為になる記事になるかと思います。タイトルがまずもう論文のタイトルみたいでしょ?

 

もう、まさかのね、駐在前の記事が一番為になる記事って言い切るのもあれ何ですけど、ただこの件に関しては結構ネットで調べまくったんですけどなかなかほしい情報が出なくて、結局アメリカと日本の弁護士が一人ずつついてとりあえず結論が出た話なので有力な情報になるかと思います。ただ、僕は法律の専門家でもないですし、いまいち理解していない部分も多いので正しいという保証はないです。

 

まず状況を整理すると、僕は両親が日本人ですが、アメリカで生まれています。

 

詳細や細かい例は省きますが、大まかにいうと日本の場合は親のどちらかが日本国民だったら日本国民として認められ、アメリカでは親のどちらかがアメリカ国民、もしくは本人がアメリカで出生していればアメリカ国民として認められます。

 

つまり、僕のケースだと、僕は日本国民であると同時にアメリカ国民でもあり、二重に国籍を保持していることになります。

 

しかし、日本の国籍法では22歳までに国籍を選択しなければならないことになっています。(基本的に日本は二重国籍を認めていないが、子どものうちに選択させるのではなく、自分で国籍の選択の判断ができるであろう22歳まで保留期間にするというような扱いです)

 

僕の場合、この法律にのっとり、21歳の時に日本国籍を選択し、アメリカには特に何の申請もしませんでした。

 

ところが、アメリカでは日本と違って二重国籍を認めています。なので、このケースだと日本国内では日本国籍のみを保持している、アメリカでは両方保持している状態になります。

 

この状態でアメリカに駐在するときにどういう問題が生じるかというと、日本人として駐在しようとすると通常ワーキングビザを発行申請するのですが、アメリカ大使館で僕の状態を調べるとですね、「アレ?コノ人AMEIRCA人デスネ」ってなるわけです。すると、「アナタAMERICA人!AMERICA人トシテ働イテクダサイ!」って言われちゃうんです。つまりビザはもらえません。

 

え、じゃあどうすればいいの?ってなりますよね?僕もなりました。日本国籍を破棄するわけにもいきませんからね。弁護士さんと相談した結果以下の三通りの解決法があります。

 

 

  1. アメリカ国籍を完全に破棄し、通常通り日本人として駐在する手続きを取る。
  2. 日本国籍を破棄してアメリカ人になる。
  3. 日本国籍を保持しつつ、アメリカ人としてアメリカで働く。

 

それぞれメリット、デメリットがあります。

 

アメリカ国籍を完全に破棄し、通常通り日本人として駐在する手続きを取る。

 メリット:一度破棄さえしてしまえば国籍に関する煩わしい心配をしなくて良い。

デメリット:アメリカ国籍を破棄するのに時間とお金がかかる(アメリカ大使館にて2回面談、国籍を破棄するのに$2,350手続き費用としてかかる。)

 

実際この方法をとる人は弁護士さんの体感だと全体の3割くらいらしいです。会社が$2,350をぽんと出してくれるか、そして国籍が破棄されるまでの間、そしてそこからさらにビザが発行されるまでの間待ってくれるかがポイントになるのではないかと思います。ただアメリカ国籍を持っているというのはお金で買えない価値のあるものかもしれません。例えばアメリカ国籍を持っていればアメリカでの永住権を持てますし、日本が崩壊してしまったときにはアメリカ人としてアメリカに行くことも可能です。実際この永住権を最終的に入手するために、メキシコとの国境をなんとか越えて、アメリカでなんとか無理やり出産して子供をアメリカ人として認めさせる中南米の人が結構いるとかという話です。

 

 

日本国籍を破棄してアメリカ人になる。

メリット:ネタになる。

デメリット:日本に帰国する際にはもう外国人なので、滞在するのに制約ができてしまう、日本で住むにあたって税金等の関係で不利な条件での生活を強いられる可能性があるなど。

 

日本国籍の再取得は不可能ではないらしいですが、猫ひろしカンボジア人から日本人に戻ろうとする場合なかなか戻れないのではないかと一時期話題になっていたように現実問題時間とお金がかかると思います。

 

日本国籍を保持しつつ、アメリカ人としてアメリカで働く。

 

メリット:手続の時間が他と比べて比較的少ない、両方の国籍をとりあえずキープできる

デメリット:色々な書類の申請がとにかくややこしい。

 

弁護士さんの体感だと全体の約7割くらいの人がこの方法を取られるそうです。実際この方法は日本の国籍法だとアウトで、罰せられる対象にはなるのだそうですが、実際罰せられた例は無いというなんともグレーな感じです。ですが、考えてみると他の国の人を日本の都合で罰することになるので手を出さないのでしょうね。しかし、この方法だととにかく各書類の申請等がややこしいので、色々相談しながら慎重に行ってください。

 

 

まぁ、1か3の方法が現実的です。あとは自分の価値観や、状況に留意しつつ、弁護士さんや会社と相談するといいでしょう!

 

 

よし、もう真面目な記事は書かない!

「駐在員爆誕」

3月中旬。

 

僕はいつものように朝から自分のデスクで仕事をしていた。

 

海外の取引先相手に右手で器用にメールを打ちながら左手で綾鷹をSip。すれちがう女子社員と笑顔でChat。他部署からの怒りの電話に謝罪しつつ、電話越しに相手にBow。

 

そんな日常が水面下で崩壊しようとしていた。

 

課長「マイケルくん、ちょっといいかな?」

 

将棋や囲碁の名人は何千、何万通りという手が一瞬で浮かぶというが、僕も同様に「やばい、あの件か・・・?」とか、「いや、この件か・・・?」と一瞬でいくつもの悪手が頭をよぎった。

 

とりあえず頭をやや下げ気味で「はい、なんでしょう・・・?」と恐る恐る聞くと、「ちょっと会議室に行こうか」と言われ二人で会議室へと向かった。

 

相当でかい案件である。

 

胃をきりきりさせながら席に着くと課長の口から思わぬ一言が飛び出てきた。

 

「マイケル君、海外の半年研修には興味はないかね?」

 

半年研修とはうちの会社で行っている研修プログラムの一つで、海外の子会社に半年間研修という形で長期出張し、あらかじめ決めたテーマに沿って何かを学んで来たり調査したりするプログラムである。全員がいけるわけではなく、年に数人とかせいぜい十数人がいけるプログラムなのでかなり貴重な経験ができる。

 

僕は思った。

 

行きたくない、と。

 

いや、決して行きたくないわけではないが、もろもろの理由でこの時期には行きたくなかったのだ。

 

このプログラムはあくまで個人が手を挙げて参加するプログラムなので断ることもできる。しかし、ただただ断ると心象も良くない。そこで僕は課長にこう切り返した。

 

「いや~課長!半年じゃあ何も学べませんよ!」

 

神の一手である。やる気はあることをアピールしつつ、あくまで時間のせいにして断るという。心象を悪くすることなく、断る。この場では最善の一手であった。

 

すると課長も、

 

「そうだな・・・!いや、俺も実際そう思うよ!そうだな、うんうん。分かった、じゃあ仕事に戻るか!」とこの話し合いを切り上げた。

 

ふっ、我ながら完璧だぜ。

 

そんなこんなでまた日常へと我々は帰って行った。

 

~3時間後~

 

課長「マイケルくん、ちょっと会議室に来てくれるか」

 

マイケル「?はい、わかりました。」

 

なんだろう?お子さんの進路の相談とかかな?とか思いながら先ほどの会議室に行き、席に着いた。

 

 

 

課長「それじゃあマイケル君、ロサンゼルスに駐在に行ってもらうわ。」

 

・・・え?

 

課長「マイケル君の言うとおり半年じゃあ中途半端だと俺も思う。だから駐在ね。また詳しいことは追ってメールするわ、じゃあよろしく!」

 

こうして一人の駐在員がそのきったねえ産声を上げたのであった。